焼肉文化と韓国の肉食の歴史・焼肉の起源
先史時代の肉食文化
先史時代は比較的水産物が採取しやすかったのですが、大陸の人たちが移動しながら、狩猟を行っていたためその影響を受けました。対象となった野生動物は、毛皮と食料の利用価値があるものでイノシシ、馬、うさぎ、牛、オオカミ、鹿など。また北方の平安道(ピョンヤンド)では、野生の雉やニワトリも食用にされていました。その卵も利用されていたことは推測できます。この時代にはかまどがあったことから、動物を焼いて食していたと思われます。
串焼きの「炙(ジョク)」誕生
部族国家に入ると、牛、豚、鶏が飼育されるようになり、串焼きを意味する「炙(ジョク)」が生まれました。これが焼肉の原点と言われています。
肉食禁止時代
しかし、高麗時代に入ると仏教文化が発達したため、肉食が禁止になりました。よって、労働力として牛、馬が飼われ、高麗時代は牧場が多く存在しました。しかし、十三世紀の中頃に入ると、元との交流が活発になったため、元のために肉の食事を用意しなければならず、殺生禁止の戒律をやめざるを得なくなります。このときにできた料理が「ソルロンタン」で、モンゴル語の「スュルル(肉を煮た汁)から派生したと言われています。また苦肉の策として、牛や馬の代わりに鶏や豚を食べるよう命じることもありました。
元との交流による肉食時代
元との交流によって、高麗時代の末期には肉を食べることに。開城(ケソン)では雪夜炙(ソルヤジョク)といって、牛肉を味付けしてから焼き、水につけては焼きを繰り返す方法がありました。さらには、刺身にして食べる方法も取られていたと言われています。
李氏朝鮮時代に発達した肉料理
朝鮮時代になると儒教を崇めたため、完全に肉食文化が復活。朝鮮時代に肉料理は大きく発達しました。宮中料理のノビアニは、網を使って直火で焼く方法で、比較的いまの焼肉スタイルに近いもの。しかしノビアニは焼いたものを直接口に運ぶのではなく、全て焼き上げてから器に盛り付けて出されました。
この時代、肉食文化が発達したとはいえ、口にできるのは一部の貴族のみ。冠婚葬祭用の高級料理でした。そこで、丸一頭が食べられるような調理方法が生み出され、内臓も捨てることなく活用したのでした。
現在の焼肉スタイルが誕生したきっかけ
現在の焼肉スタイルが確立したのは、朝鮮戦争後で歴史は古くありません。戦争で家を失ったため雨風をしのぐ程度の小屋をたて、屋外でコンロを囲んで食事をしました。このあたりから、ノビアニとは異なった焼肉の焼肉が浸透。プルコギといって、味付けをしたあとに鉄板で焼くものでした。
そして経済成長とともに、焼肉が外食産業の主要料理となり、更なる成長を遂げたのでした。